カメラが壊れた日、感性がひらいた-奄美大島 リトリートの記録-
- coolmintjam2
- 6月30日
- 読了時間: 5分
更新日:8月19日
奄美大島、ひとりのリトリート旅
プロローグ
カメラが壊れた。
旅の始まりに、まさかのアクシデント。
奄美大島に到着してまだ数十分。
送迎車の運転手さんが「展望デッキに寄りますよ」と案内してくれた瞬間、胸が高鳴った。
「カメラが趣味なんです。行ってきます!」
そう言って駆け上がったデッキで、シャッターを押す。…が、何も起きない。
一眼レフが反応しない。動かない。
何をしても、うんともすんとも言わない。
旅の目的は、「究極の休息」と「絶景写真」だった。
そのうちの半分が、開始早々に失われた。
けれど——
あのときカメラが壊れたからこそ、この旅は、本当に「休息」と呼べるものになったのだと思う。
(※掲載の写真はすべてスマホによる撮影)

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カメラが使えないなら、心をひらいてみよう
コロナ禍が明けた頃、旅の再開の最初の行き先に選んだのは、奄美大島の南端にある「THE SCENE」。
目の前に海が広がる、静かなウェルネスホテルだ。
滞在中は、ヨガ、瞑想、星空観察、スパマッサージ、離島めぐり…。
心と身体の声に耳を澄ますアクティビティを予約していた。
チェックイン後に受けたのは、木陰でのパーソナルストレッチ。
波音をBGMに、ゆっくり身体をゆるめていく。
ガチガチだった肩や背中が、不思議なくらい軽くなっていた。

裸足で浜辺を歩く“アーシング”も体験。
自然と繋がる感覚。素足で触れる地面が、思った以上に心地よく癒される。
日の出とともに行うホノホシ瞑想は、朝の清々しい空気が気持ちよい。波が引く時に丸い石がコロコロと音を立てるのも心地よかった。おすすめのアクティビティだ。
「撮る」ことを手放した私は、代わりに「感じる」ことに夢中になっていった。

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雨の島は、まるで“呼吸する森”だった
奄美の自然は、とてもやさしく、そしてとてもワイルドだ。
海よりも緑。空よりも山の深さが、心に残る。
そして、雨。
「奄美に来て雨が好きになった」と話す移住者に何人も会った。彼らは皆、傘はささないらしい。
実際に滞在中は豪雨に見舞われる時間も多かったけれど、不思議と不快ではなかった。
雨が降ることで植物が喜び、霧が山の呼吸のように立ち上る。
濡れた草木は光を吸い込み、生命力が増したようで、いっそう美しかった。東洋のガラパゴスとも言われる独特の生態系を育むのは雨のおかげなのだと実感した。
島民たちは天気予報より“雨雲レーダー”を信頼している。
それくらい、空はコロコロと表情を変える。
「自然の声を聴く」ということは、こういうことかもしれない。大自然が人間を受け入れてくれている。奄美は自然と人が美しく共生している島だった。

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星空の話と、島を守る人の言葉
旅の夜、私は星空ガイドさんと一緒に夜空を見上げていた。
残念ながら雲が多く、黄砂の影響もあって満点の星空ではなかったけど、都会に比べたら十分すぎるくらいだった。念願の星の軌跡写真は撮れなかったけれど、聞かせてもらった話が忘れられない。
奄美を「星空保護区」にする活動をしているというその方は、
“星がきれいすぎて、住民にはありがたみが伝わらないのが課題”だと笑っていた。
自然は「当たり前」にあると、それがどれほど貴重か、つい忘れてしまう。
だけど、その夜の空は、たしかに私の心を動かした。
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加計呂麻島、神々の眠る森へ
奄美から船で渡る加計呂麻島。
“呼ばれた人しか辿り着けない”という言い伝えもある、神秘の島。
この日は雨の予報だったけれど、午前中は奇跡的に晴れた。
森の中には、トトロの傘のようなクワズイモ、樹齢数百年のガジュマルの木、その麓で出会った瀕死のイノシシ。
まるでジブリ映画のような、不思議な景色が広がっていた。
帰りの船は土砂降りと荒波の中、びしょ濡れになった。
でも、不快感はなかった。むしろ、すべてが洗い流されていくような気がして、清々しい。
子どもの頃はそれほど雨を嫌ってはいなかったはずなのに、いつの間に憂鬱な日になったのだろう。濡れることを許容すれば、大人だって雨が楽しくなる、そんなことを思った。

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奄美で知った、「足りないほうが、満ちている」感覚
雨の音、波のリズム、星空の静けさ。
たった3日間で、私はたくさんの“贈り物”を受け取った。
心も身体も脳も自然の力ですっかり浄化され、出会った人たちとの会話で知的好奇心も満たされている。
もしカメラが壊れていなかったら、私はこんなに五感を使って大自然を感じたり、人の話に真剣に耳を傾けることができたのだろうか?
撮影に夢中になって自分の休息を蔑ろにしてはいなかっただろうか?
結局のところ、私たちは自然に生かされているだけであって、起きる物事には理由がある。うまくいかないのは自分にまだその準備ができていない、タイミングが悪いだけ。
映えない写真なんて、もうどうでもよくなっていた。心で感じた素晴らしい瞬間を体験できたのだから。いつの間にか、心は十分に満たされていた。
究極の休息を求めて旅に出たのに、あのままカメラを持ち歩いていたら、「休息」ではなかったかもしれない。
心と身体と脳。
全部のノイズが消えたとき、やっと本当の“わたし”が現れる。
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理想の1日を想像してみる
日の出の時間に鳥の囀りですっきりと目覚め、波の音を聞きながら海沿いを散歩やジョギングをし、ヨガと瞑想で心を整える。その後、朝陽の入るダイニングで健康的な朝食を食べ、美味しいコーヒーを飲みながら本を読む。
いつかどこかに書いた理想の朝の過ごし方は、既にここにあった。そう気づいた瞬間、再訪することを決めていた。
奄美で享受したスローライフに、私はすっかり魅了されている。

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エピローグ
帰宅して修理に出した一眼レフは、
「異常なし。正常に動作しています」と診断された。
あの3日間だけ、まるで“カメラを閉じて、感性をひらけ”と
島がささやいたかのようだった。
都会でがんばりすぎた私へ。
奄美の自然がくれた休息は、きっと一生忘れない。





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