清め箸に宿る祈り―軽井沢「くろいわ無二」植物が奏でる懐石の調べ―
- coolmintjam2
- 8月4日
- 読了時間: 6分
更新日:8月19日
夏越の夜に
六月の終わり、「くろいわ無二」の暖簾をくぐると、そこは別世界だった。軽井沢には珍しい和の空間で、今宵味わうのはただの懐石料理ではない。特別に用意してもらったプラントベースの懐石料理——動物性の食材を一切使わず、植物だけで表現する日本料理の真髄。
カウンター席で私を迎えたのは、一面の緑だった。借景が映えるよう黒く縁取られた壁の向こうに、川音がBGMとなって流れている。夜更けと共にライトアップされる景色を眺めながら、運が良ければムササビが飛ぶ姿も見られるのだという。

ドリンクは深煎り番茶をオーダーした。ワイングラスに琥珀色の「薫り燻らす」が注がれていく。ひとくち含むとスモーキーな味わいが鼻に抜けていった。

お盆の上に置かれた吉野杉の箸が、ひんやりと湿っている。
「清め箸と呼ばれるこの箸には、『お待ちしていました』という無言のメッセージが込められているんです」
一時間前から水に浸されたという箸の、やさしい感触。千年の時を超えて受け継がれる、もてなしの心がそこにあった。
初夏の調べ
最初に運ばれてきたのは、ゴーヤとパプリカの和え物、そして紅白の酢の物。柑橘の香りが鼻腔をくすぐり、庭で摘んだばかりのミントが青々と輝いている。
「このミントは、ちぎった瞬間が一番香りが立つんですよ」
大将の言葉通り、指で軽く揉むと清涼感あふれる香りが空気に溶けていく。それは軽井沢の森の香りにも似て、素材の最高の瞬間を大切にする美学を感じた。

続いて現れたのは、軽井沢産トウモロコシの白扇揚げ。精進料理の古い技法で、卵を一切使わず小麦粉と片栗粉だけで作られている。一口噛むと、トウモロコシの甘みが口いっぱいに広がった。根曲がり竹、自家製の干し舞茸、庭のシソ。軽井沢の地じゃがいもを炊いて漬し、団子状にしたものは、素朴でありながら深い味わいを湛えている。
千年の記憶
椀物が運ばれてくると、器の縁に水滴が踊っている。
「昔は毒を盛られることを恐れて、器全体に水を散らしていたんです。水が乱れていたら誰かが触った証拠。『僕以外は触っていません』という、安心のための印なんですよ」

歴史の重みを感じながら、今日の椀「波車」を味わう。京都で牛車を水で洗う夏祭りの風景を表現したという器に、季節が宿っている。
蓋を開けると、軽井沢の野菜で彩られた美しい世界が現れた。花ズッキーニには細かく包丁が入れられ、青臭さを抜いて優しい味わいに。プロの手仕事が奏でる、無言の音律のようだった。
説明がなければ、水滴は単なる涼しげなあしらいだと思ってしまうだろう。封印の名残という奥深さに、食事をしながら歴史の一端を垣間見た。
水を感じる哲学
「夏越の大祓」を表現した一品は、忘れられない体験だった。一年の半分が過ぎた今日、半年間の邪気や汚れを払う古い祈りの儀式。茅の輪をくぐって身を清めるように、この夜の料理にもそんな願いが込められている。
大将の書とともに、庭のサツキ、川の砂利が料理を彩る。そこに添えられた透明な一品——
「『味のない料理』を一つ入れるんです。軽井沢の美味しい水を固めてゼリーにしました」
それは「箸休め」という名の哲学。

「テレビは情報が入ってきますが、本を読む時は自分から情報を取りに行きます。この料理は本なんです。感じようとするから感じる」
口に含むと、最初は何も感じない。しかし意識を集中させると、軽井沢の水の柔らかさ、そして「水を感じる」という不思議な体験ができる。
静寂を口にした瞬間、本当に何もない。ただの冷たい塊が舌の上にあるだけ。でも心を向けてみると、かすかに何かが立ち上がってくる。軽井沢の朝の空気のような透明な涼しさ。水が舌先をそっと撫でていくような感覚。
私がページをめくらなければ、文字は浮かび上がらない。こんなに静かな料理、こんなに静かな味わいがあったなんて。
一心の教え
「今日のお料理は『一心』という言葉をテーマにしています」

壁に掲げられた「一餐一心」の書を差しながら大将が語る。師匠から教わった言葉だという。食事に対して一回一回、心を込める。お客様との出会いも「一期一会」かもしれないからこそ、お客様にも見えて、自分にも見える位置で仕事をする。
「監視カメラだと思ってやりなさい」
師匠の教えが、今も大将の料理に息づいている。出会いへの最高の敬意。自分はそんなふうに仕事ができていただろうか。心に響く言葉だった。
煮(にえ)の心
芯の残った米を噛みしめる「煮」という料理は、まさに日本の心を表している。米本来の旨味を自分で噛みしめて引き出す、感謝の気持ちを込めた一品。

「お米に感謝をするという、ザ・日本らしい料理です」
懐石料理ではご飯が必ず「煮花」から始まり、炊き上がり、おこげ、湯、最後はお茶漬けという流れがある。竹箸でご飯粒をかき集め、「一つぶも残さないように食べる」ところまでが一連の所作となる。
当たり前になりすぎていた、食事ができることのありがたみ。この料理は、私たちに大切なことを思い出させてくれる。
半年の祈り
最後に現れたのは、三角形の「水無月」。半年という節目に合わせて作られたお菓子は、昔の人々が氷を求めた気持ちを表現している。庶民は氷を手に入れることができなかったため、氷っぽいものを口に入れて涼を取ろうとした。自家製の餡子と吉野葛で作られた温かいお菓子は、砂糖をほとんど使わず体に優しい。

添えられているのはクルミのお菓子と、一度炊いてから揚げた黒豆。「揚げると重たくなる」という先入観を覆す、驚くほどさっぱりとした味わいが印象的だった。
植物たちの静かな調べ
軽井沢の夜が更けていく中、「くろいわ無二」で過ごした時間は、単なる食事を超えた体験だった。プラントベースという制約の中で表現された日本料理の真髄——それは素材への敬意、季節への感謝、そして何より食べ手への愛情そのもの。
大将の一つひとつの言葉に込められた想い、千年の歴史を受け継ぐ技法、そして現代に生きる私たちへの温かいメッセージ。清め箸に込められた「お待ちしていました」という気持ちから始まり、最後の水無月まで、すべてに意味があり、すべてに心が込められていた。
「英語はできないけれど、心は一緒」
大将が海外のお客様について語った言葉が、この夜の体験を象徴している。言語を超えて伝わるもの——それは料理人の真心と、食材への感謝、そしてお客様への深い愛情なのだ。

軽井沢の森に包まれた小さな店で、一人の料理人が静かに紡ぐ物語。それは食べる人の心に深く響き、きっと長く記憶に残り続けるだろう。
夏越の大祓の夜に頂いた、植物たちが奏でる静かな調べとして。
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