私はパンを焼いているつもりだった

私はパンを焼いていたつもりだった。

でも本当は、発酵する自分を観察していた。



気づいたのは、何度目かの捏ねのときだった。

シナモンロール、ベーグル、中華まん、フォカッチャ…

料理が得意なわけでも、パンが特別好きなわけでもない。むしろパン作りやお菓子作りにはまるで興味が無かった。
なのに気がつくと、最近よく生地を捏ねている。

北欧からの帰国後、シナモンロールを習ったことで作ることへのハードルが下がったとは言え、それだけでは説明がつかないほどの頻度。

なぜだろう、と思ったとき、
自分が楽しんでいるのはパンの完成ではなく、
発酵を待っている時間だと気がついた。



酵母は、見えない。

でも生きている。

温度と時間を与えると、自分で動き出す。

急かしてもダメ。
命令してもダメ。

ただ、環境を整えて待つしかない。

その間、外からは何も起きていないように見える。

でも内側では、確実に何かが変わっている。



パンが焼ける香ばしい香りも大好きだけど、もうひとつ気づいたのは酵母の香りも好きだということ。

パンの香りではなく、発酵中の、まだパンになっていないときの香り。

完成された香水のような人工的な匂いではなく、
「いま何かが起きている」ことを感じさせる、あの気配。

生命と時間の匂いがする。



考えてみると、私の写真も似ている。

完成された絶景より、朝食の前の静かなテーブル。

誰かが去ったあとの椅子。

差し込む光。

湯気。

読みかけの本。

何かが起きている途中、あるいは起きたあとを、
気づけばいつも撮っている。

到着より、途中の方が記憶に残る。

旅でも移動中に見た景色や偶然入ったカフェの方が、目的地そのものより鮮明だったりする。

私はずっと、結果ではなく経過に心を動かされてきたのかもしれない。

つまり私は、気配を撮っている。



酵母の香りが好きなのは、
その香りの中に未来が含まれているからだと思う。

まだパンではない。

でも確実にパンになろうとしている。

その途中の時間に、なぜだか心が落ち着く。



退職してからの時間も、発酵に似ている。

会社員ではなくなった。

でも次の形はまだ定まっていない。

肩書きも、事業も、まだ途中だ。

以前なら、その曖昧さを不安に感じていたと思う。

でも今は少し違う。

外から見ると何も起きていないようでも、
内側では確かに、何かが動いている。

それがわかるから、酵母の香りに安心する。

「まだ途中でいいんだよ」と、
誰かに言ってもらっているような気がして。



発酵は急げない。

生地を眺めながらコーヒーを淹れる。

窓の外を見る。

何も起きていないようで、
生地の中では何かが起きている。

たぶん、人も同じだ。

私はパンを焼いていたつもりだった。

でも本当は、
発酵する自分を観察していた。

次へ
次へ

これが生きるってことだよ