フィンランド料理教室で教わったシナモンロールを焼いた。
カルダモンの香りが部屋に広がる。
コーヒーを淹れて、旅先で見つけた器を並べる。
気づけば、家のテーブルが少しだけフィンランドのカフェのようになっていた。
でも不思議なことに、再現したかったのは北欧のカフェではなかったのかもしれない。
ヴィンテージのアラビアのお皿を見ながら思う。
このお皿は、ヘルシンキで偶然出会った日本人の女性とお揃いで買ったものだ。
一緒にシナモンロールを食べて、サーモンスープを食べて、少し話をして、またそれぞれの旅へ戻った。
旅先では、そんな小さな出会いがある。
帰国してからも、そのお皿を見るたびに思い出すのは商品名でもデザインでもなく、その日の空気だ。
旅の記念品とは、モノではなく時間を持ち帰るためのものなのかもしれない。
そう考えながら、自分で焼いたシナモンロールを口に運んだ。
その瞬間、なぜだか涙が出そうになった。
何か特別なことがあったわけではない。
ただパンを焼いて、コーヒーを淹れて、好きな器を使っているだけだ。
でも、ふと思った。
「ああ、これが生きるってことだ」と。
自分の感覚を置き去りにしていない状態が、「ちゃんと暮らしている」感じがして。
長い間、私は身を粉にして働いていた。仕事は嫌いではなかったし、むしろ誇りも持っていた。
けれど、いつの間にか生きることと働くことが重なりすぎていたのかもしれない。
やるべきこと。終わらせるべきこと。応えるべき期待。
それらに追われるうちに、暮らしは仕事を支えるためのものになっていた。
今は違う。
シナモンロールを焼くことも、コーヒーを学ぶことも、写真を撮ることも、文章を書くことも、
どれも誰かに求められたことではない。
ただ、自分がやりたいからやっている。
北欧で惹かれたのも、きっと同じものだった。
窓辺の光、静かなカフェ、森の中の湖、コーヒーブレイク。
それはデザインでも観光でもなく、人が人間として過ごす時間の美しさだったのだと思う。
旅から帰ってきて、私はシナモンロールを焼いている。
フィンランドを再現したいわけではない。
あの旅で見つけた感覚を、自分の暮らしの中で育ててみたいのだ。
旅は終わった。
けれど、旅の続きを暮らしている。