清め箸に宿る祈り─軽井沢「くろいわ無二」植物が奏でる懐石の調べ─

夏越の夜に

6月の終わり、「くろいわ無二」の暖簾をくぐると、そこは別世界だった。軽井沢には珍しい和の空間で、今宵味わうのはただの懐石料理ではない。特別に用意してもらったプラントベースの懐石料理──動物性の食材を一切使わず、植物だけで表現する日本料理の真髄。

カウンター席で私を迎えたのは、一面の緑だった。借景が映えるよう黒く縁取られた壁の向こうに、川音がBGMとなって流れている。夜更けと共にライトアップされる景色を眺めながら、運が良ければムササビが飛ぶ姿も見られるのだという。

ドリンクは深煎り番茶をオーダーした。ワイングラスに琥珀色の「薫り燻らす」が注がれていく。ひとくち含むとスモーキーな味わいが鼻に抜けていった。

お盆の上に置かれた吉野杉の箸が、ひんやりと湿っている。

「清め箸と呼ばれるこの箸には、『お待ちしていました』という無言のメッセージが込められているんです」

1時間前から水に浸されていたという箸の、やさしい感触。千年の時を超えて受け継がれる、もてなしの心がそこにあった。

初夏の調べ

最初に運ばれてきたのは、ゴーヤとパプリカの和え物、そして紅白の酢の物。柑橘の香りが鼻腔をくすぐり、庭で摘んだばかりのミントが青々と輝いている。

「このミントは、ちぎった瞬間が一番香りが立つんですよ」

大将の言葉通り、指で軽く揉むと清涼感あふれる香りが空気に溶けていく。それは軽井沢の森の香りにも似て、素材の最高の瞬間を大切にする美学を感じた。

続いて現れたのは、軽井沢産トウモロコシの白扇揚げ。精進料理の古い技法で、卵を一切使わず小麦粉と片栗粉だけで作られている。一口噛むと、トウモロコシの甘みが口いっぱいに広がった。根曲竹、自家製の干し舞茸、庭の紫蘇。軽井沢の地じゃがいもを炊いて潰し団子状にしたものは、素朴でありながら深い味わいを湛えている。

千年の記憶

椀物が運ばれてくると、器の縁に水滴が踊っている。

「昔は毒を盛られることを恐れて、器全体に水を散らしていたんです。水が乱れていたら誰かが触った証拠。「僕以外は触っていません』という、安心のための印なんですよ」

歴史の重みを感じながら、今日の椀「波車」を味わう。京都で牛車を水で洗う夏祭りの風景を表現したという器に、季節が宿っている。

蓋を開けると、軽井沢の野菜で彩られた美しい世界が現れた。花ズッキーニには細かく包丁が入れられ、青臭さを抜いて優しい味わいに。プロの手仕事が奏でる、無言の音律のようだった。

説明がなければ水滴は単なる涼しげなあしらいだと思ってしまうだろう。封印の名残という奥深さに、食事をしながら歴史の一端を垣間見た。

水を感じる哲学

「夏越の大祓」を表現した一品は、忘れられない体験だった。一年の半分が過ぎた今日、半年間の邪気や汚れを祓う古い祈りの儀式。茅の輪をくぐって身を清めるように、この夜の料理にもそんな願いが込められている。

大将の書とともに、庭のサツキ、川の砂利が料理を彩る。そこに添えられた透明な一品──「『味のない料理』を一つ入れるんです。軽井沢の美味しい水を固めてゼリーにしました」

それは「箸休め」という名の哲学。

「テレビは情報が入ってきますが、本を読む時は自分から情報を取りに行きます。この料理は本なんです。感じようとするから感じる」

口に含むと、最初は何も感じない。しかし意識を集中させると、軽井沢の水の柔らかさ、そして「水を感じる」という不思議な体験ができる。静寂を口にした瞬間、本当に何もない。ただの冷たい塊が舌の上にあるだけ。でも心を向けてみると、微かに何かが立ち上がってくる。軽井沢の朝の空気のような透明な涼しさ。水が舌先をそっと撫でていくような感覚。

私がページを捲らなければ、文字は浮かび上がらない。こんなに静かな料理、こんなに静かな味わいがあったなんて。

一心の教え

「今日のお料理は『一心』という言葉をテーマにしています」

壁に掲げられた「一餐一心」の書を指しながら大将が語る。師匠から教わった言葉だという。食事に対して、一回一回心をこめる。お客様との出会いも「一期一会」かもしれないからこそ、お客様にも見えて、自分からも見える位置で仕事をする。

「監視カメラだと思ってやりなさい」

師匠の教えが、今も大将の料理に息づいている。出会いへの最高の敬意。自分はそんなふうに仕事ができていただろうか。心に響く言葉だった。

煮(にえ)の心

芯の残った米を噛みしめる「煮」という料理は、まさに日本の心を表している。米本来の旨みを自分で噛みしめて引き出す、感謝の気持ちを込めた一品。

「お米に感謝をするという、ザ・日本らしい料理です」

懐石料理ではご飯が必ず「煮花」から始まり、炊き上がり、おこげ、湯、最後はお茶漬けという流れがある。竹箸でご飯粒をかき集め、「一粒も残さないように食べる」ところまでが一連の所作となる。

当たり前になりすぎていた、食事ができることのありがたみ。この料理は、私たちに大切なことを思い出させてくれる。

半年の祈り

最後に現れたのは、三角形の「水無月」。半年という節目に合わせて作られたお菓子は、昔の人々が氷を求めた気持ちを表現している。庶民は氷を手に入れることができなかったため、氷っぽいものを口に入れて涼を取ろうとした。自家製の餡子と吉野葛で作られた温かいお菓子は、砂糖をほとんど使わず体に優しい。

添えられているのは胡桃のお菓子と、一度炊いてから揚げた黒豆。「揚げると重たくなる」という先入観を覆す、驚くほどさっぱりとした味わいが印象的だった。

植物たちの静かな調べ

軽井沢の夜が更けていく中、「くろいわ無二」で過ごした時間は、単なる食事を超えた体験だった。プラントベースという制約の中で表現された日本料理の真髄──それは素材への敬意、季節への感謝、そして食べ手への愛情そのもの。

大将の一つひとつの言葉に込められた想い、千年の歴史を受け継ぐ技法、そして現代に生きる私たちへの温かいメッセージ。清め箸に込められた「お待ちしていました」という気持ちから始まり、最後の水無月まで、全てに意味があり、全てに心が込められていた。

「英語はできないけれど、心は一緒」

大将が海外のお客様について語った言葉が、この夜の体験を象徴している。言語を超えて伝わるもの──それは料理人の真心と、食材への感謝、そしてお客様への深い愛情なのだ。

軽井沢の森に包まれた小さな店で、一人の料理人が静かに紡ぐ物語。それは食べる人の心に深く響き、きっと長く記憶に残り続けるだろう。

夏越の大祓の夜にいただいた、植物たちが奏でる静かな調べとして。

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