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満ちる、ということ

世の中には、すごい人がいるものだ。

最近聞いた話に衝撃を受けた。ある知人の息子さんは、子供の頃からよくこう言っていたという。

「あぁ、毎日本当に幸せだな。今日が最後でもいいくらい満足してる」


人生が満ちている。

その一言に尽きる。

そんなふうに生きられる人が、本当にいるのだ。


そうありたいと願い、心に決めてみても——

私は、そんなふうに感じられた日があっただろうか。

何か大きな出来事をきっかけに開眼した人の話なら聞いたことがある。

けれど、誰に教わることもなく、幼い頃から自然体でそう生きている人に出会ったのは、初めてだった。


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私は幼少期から、少しハードモードな人生を歩んできた。

のほほんと生きている同級生を、どこか引いた目で見ていた気がする。

幸せそうに見えなかった母のようにはなりたくないと、ずっと思っていた。

おそらく、心の底から人生を楽しんでいる人に、最近まで出会ったことがなかったのだと思う。


この数年で、生きやすさはずいぶん増した。

特別なイベントがなくても、毎日に小さなワクワクを感じられるようになった。

人生を揺るがすような出来事が続いても、病気をしても、驚くほど早く前を向けるようになった。


そのたびに心に決める。

——今日が最後でもいいくらい、満足した毎日を送ろう、と。


けれど、そんな日々はまだ訪れていない。

もし今日が最後の日だとしても、後悔はないかもしれない。

でも、「満足している」と言い切れるかと問われると、言葉に詰まる。


羨ましかった。


私はまだ、本当にやりたいことに辿り着いていない。

何かを掴みかけても確信が持てず、充足よりも不足に目が向いてしまう。

外側に答えはないとわかっているのに、自分の声が聞こえない。

だから、答え探しと自分探しの迷子が続く。


——きっと本当は、もう気づいているのだ。

思い出すだけなのだと。


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けれど、思考で生きてきた頭は、なかなか緩んでくれない。

不平不満はないのに、心の底から満たされているとも言い難い。


「自分」という言葉は、自らを分けると書く。

分けられたものと、元々のもの。

その統合こそが、人生のテーマなのだとしたら——

私はまだ、旅の途中にいる。


彼ははもう着いているのか。

それとも、最初からそこにいたのか。

答えはわからない。


でも今朝、ふと思った。

仕事に行かなくていい朝は幸せだと。

コーヒーを淹れて、こうして文章を書ける時間がある。


もしかしたら、満足というのは特別な何かではなく、こういう何気ない朝に宿っているのかもしれない。


それでも、まだ確信は持てない。

コーヒーを一口飲んで、私は今日という一日を始める。


満足と言い切れない日々が続く。

それでも、足は前に出る。


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